幸福論 (ヒルティ)
2012年1月13日(金) 00:26 JST
幸福論シリーズ第2弾。ヒルティ(1891年)先生が60才近くになって書いた幸福論。
この先生の幸福論はやたら長くて3部まであるのですが、白水社のやつはそこから重要(?)な章を抜粋して再編した本でざっと片付けるにはいい本でした。それでもしんどい内容でしたが・・・
アマゾンでは大絶賛なんですが・・・?
もともとのドイツ語の原題は「幸福」だそうで、「幸福論」というタイトルには似つかわしくないという印象があります。この本のあとがきにも触れられいますが(ヒルティ先生自身も言うように)、この本は哲学や学問やそういう類ではなく、ただ自身の経験に基づいたエセーだということに留意していないと、どんどん読み手が置いていかれてしまいます。
「幸福とは、仕事と愛と、神とともにあること」ということだそうで、ほんとうにいろいろな名言(特に聖書など)を借りて幸福や社会のあり方を述べています。読者は、これら名言に感動したりされたりして救われるのも結構だと思うのですが、私が読み進めるのを非常にもどかしく感じる問題は、やはり、ヒルティ先生自身から沸き起こった何か、をヒルティ先生自身の言葉で表現し創造できていないのではないか、というもやもやとした感情、これは私が昔からよく感じるところの「坊主の限界」に似た不審が最後まで拭えませんでした。また、あまり自然科学には通じていないようで、自然科学的なアプローチについてはまったく触れようともしない態度がやや論法が独善的という印象を与えているように思えます。
これは私だけかも知れませんが、「社会に対する不満」「民族主義的な思想」「自身に対する不安」のようなものがなんとなく行間から染み出ているように感じ取れるのも、ヒルティ先生の人間性に対する不審に繋がっています。
仕事に関する先生の提言や考察、また、人間に対する評価と見識、アドバイスは、(現在も大量生産されている)「いわゆる自己啓発本」と同じ類の論法でやや食傷気味ですが、これにはインスパイアされたり、時にはリライトする人も多いのではないかと思います。しかし裏を返せば、これら人生訓のようなものは、齢60も近くなるとおおよその人に(その質、量は異なるが)当然のごとく発現してくるものであって、それらを若者にくどくどくだを巻く説教おやじ(内容の質は違えど)行為は同じなので、あまりにも偉そうに語るそこらへんはとても「うざく」感じるところでもあります。
冒頭のとおり「幸福論」と表記できるような、学問的、体系的な「論」とは異なるため、この点で3大幸福論というくくりにこの本を含めるのは適さないと、個人的には思います。裕福な家庭に育ち、聡明で敬虔なキリスト教徒の、一つの人生の深い回顧録としてその宗教観、人生観は後世に重要な何かを残すであろう、という意味においてはとても価値のあるものだとは思います。
ヒルティ先生は、はたして、幸福だったのか・・・
それは神のみぞ知る、ということでしょうか。